LIVE NIRVANA INTERVIEW ARCHIVE November 26, 1991 - Bradford, UK

Interviewer(s)
You Masuda | 増田勇一
Interviewee(s)
Kurt Cobain
Publisher Title Transcript
BURRN! Smells Like... What? TBC (Nihongo)
Music Life An Interview With Kurt Cobain In 1991 Yes (Nihongo)

TBC

© You Masuda, 1992

 1991年11月26日午後、英国、ブラッドフォード。街はずれにある豪華さのカケラもない安ホテルのロビーに、3人の薄汚い男たちが到着した。ニルヴァーナ。「ネヴァーマインド」が「ビルボード」誌アルバムチャートで4位急上昇中、そこからシングルカットされた"スメルズ・ライク・ティーン・スピリット"が、MTVでもラジオでも他の誰のどんな曲よりも頻繁にオン・エアされていたこの時期ではあっても、彼らの登場に群がる者はいなかった。唯一、僕が彼らのチェックインを待ち伏せしていたのを除いては。
 この日の夜、彼らはブラッドフォード大学構内のホールでコンサートを行なうことになっており、僕は開演前に会場内のどこかでカート・コバーンをインタビューすることになっていた。しかし具体的な時刻も、誰を訪ねてどこに行ったら良いのかも知らされていなかったため、同行のレコード会社担当Y氏と共にここで彼らの到着を待っていた。ツアー・マネージャーをつかまえて取材に関する詳細を確定してもらおうというわけだ。
 ツアー・マネージャーに自己紹介し、取材に関して切り出すと、その表情が突然曇った。「何も保証できない」と言う。「すべてカート次第だから」だと。しかしどうあれ彼から時間、場所等の指示を受けた僕は、彼を通じてメンバーを紹介してもらった。日本からわざわざ取材のために来た、と聞いて嫌な顔をするミュージシャンには殆どお目にかかったことがない。勿論彼らも基本的には同じだ。とにかくにこやかで愛想の良いデイヴ・グロール。やや無愛想ではあるが好意的なクリス・ノヴォゼリック。しかしカートだけはどこか違っていた。「今日インタビューすることになっているんだけど...」と声をかけても明らかに上の空だし、握手を交わしながらも視線は僕の肩の向こう側を浮遊している。
 数時間後、会場のケータリング・ルーム。メンバーやクルーが食事をする部屋であり、大概の場合、取材陣はこういった場所で待機させられる。僕の場合も、「いつ、何ができるかわからないけど、とりあえずここで待っていて欲しい」というツアー・マネージャーの指示に従ってここにいるのだ。僕は前出のY氏と共に、その部屋の隅のテーブルで、すぐにでも取材が開始できるようスタンバイ。しかし同じ状態が延々と続くばかりで、僕らは小声で「こりゃ駄目かも」「駄目でも仕方ないね」「できたら奇跡」などと言い合っていた。カートは同じ部屋の中で食事している。デイヴやクリスは時折声をかけてくれたり、にこやかに会釈してくれたりするのに、カートはむしろ意図的に僕らから目を逸らし、存在に気付かぬふりをしているように見えた。50センチしか離れていないところを通り過ぎた時も知らんぷりだった。
 普通なら「嫌な奴」で片付けてしまいたいたくなるところではある。なのにそういう悪意を抱けなかったのは、彼の目が潤んでいるように見えたからだった。急変する状況の中での困惑。彼があらゆること...特に取材などに関して神経過敏になっているという話はあらかじめ日本を発つ前から聞いていたが、その横顔は頑固でも意団地なのでもなく、とても痛々しいものに見えた。
 しかしゆっくりと食事を済ませ、地元の知り合いらしい人たちと二言三言交わした後、彼は彼なりの平常心を取り戻したのか、僕らのついていたテーブルをまっすぐに見据え、こちらにやって来た。ツアー・マネージャーも驚くカートの気まぐれだった。
 「やあ、日本から来たんだってね」
 今、この瞬間に初めて僕の存在に気付いた。というような物言いだった。少しこわばっているような気もしたが、彼は笑みを浮かべていた。手土産に持参したおチョコのセットを手度すと、さらに表情がほころび「コレってサケを飲む時のだろ?」と喜んてみせる。同じく持参した当時「BURRN!」最新号(1991年12月号)の表紙を飾っていたのは「リスキン・イット・オール」発表当時のD:A:D。カートはこのデンマークのバンドの名前すら知りはしなかったが、だからこそ僕達の会話はそこから始まった。彼の「この表紙の人、誰?」という質問に答え、「D:A:Dというデンマークのバンドのメンバーで...ちょうど彼らも2〜3日後からUKツアーを始めるんですよ。日本で凄く人気があるというわけじゃありませんが、今後有望ということで...」と答えると、真剣な表情でこう言った。
 「そういうのっていいことだと思うんだ。あらかじめデカくなってるアメリカのバンドばかりじゃなく、彼らみたいにまだ広く知られてないバンドにチャンスを与えるのって、実に素晴らしいことだと思うよ」
 いよいよインタビュー開始だ。壁の向こうからは早くも今夜のオープニング・アクト、キャプテン・アメリカの演奏が聴こえ始めている。ちなみにセカンド・アクトには、彼らのお気に入りである日本の少年ナイフが起用されている。

──今回のツアーでは既にヨーロッパを何ヵ国かまわってきているわけですが、反響はどうですか?
K:なかなかいいよ。今のところは一応うまくいってる。毎晩ソールド・アウトで、いつも数百人もの人たちが会場に入り切れなくて、外で行列を作っているようなありさまなんだ。イタリアではそうしたファンがあまりに多過ぎて、会場の入口に殺到してね...強引に中に押し寄せてきたりもした。でもまあ彼ら自身にとってはエキサイティングなことだったんじゃないかな。なにしろカネを払わずにショウを観られたわけだからさ(笑)。
──あなた方が留守にしている間にアメリカは大変なことになっていますが...。
K:僕自身にもよくわからないんだよ。騒ぎになる直前にアメリカを離れて、それ以来ずっとこっちにいるわけだからね。僕らはどういう状態なのか人から教えてもらってるに過ぎないし、一体どんな状況を想像したらいいのか見当も付かないんだ。マネージャーが電話してきて「アルバムが売れてる」とか「ニルヴァーナ騒動って感じだ」とかいろいろ伝えてくれるんだけど、ま、自分はそういう騒ぎに関わらずに済んてるからね、今こうしてヨーロッパをまわってる間に限っては。
──でもこのツアーが終わったら、全く違った状況の中に戻っていかないとならなくなるわけですよ。
K:まったくだよ。前とはまるで違うんだろうな。どうなってるか想像もできない。アメリカに帰った時に状況に飲み込まれずに済めばいいんだけど...。空港とかでファンがキャーキャー騒いで僕らのことを待ち構えてるなんてのはごめんだからさ(笑)。
──つまり、こういうことになるとは予想していなかったわけですね?
K:ああ、全然。マジにこんな事になるとは思ってもみなかった。「ビルボード」誌のチャートに入ること自体考えられなかった。100位にだってなるわけないと思ってたし、ゴールド・ディスク獲得なんて考えたこともなかった。"売る"って観点で僕らが考えてたことといったら、メジャーと契約すれば幾らかディストリビューションとかの面が良くなってセールスを助けることにはなるだろうってことだけだったから。
──「ゲフィン」との契約を経て状況が変わったこと自体は認めているわけですね?
K:勿論。実際こうして予想もしなかったほど売れてるわけだからね。
──「メジャーと契約したことでビジネスに気を遣う必要がなくなり、より音楽に専念できるようになった」と言うミュージシャンもいますが、あなた方の場合はどうですか?
K:そういうことはないな。僕らには前からマネージャーもいたし、どちらにせよビジネスのことなんかには前から気を遣ったりはしてなかったから(笑)。ただ、今も何事についても決定を下すのは僕ら自身だし、最終的な決定権はバンド側にあるんだ。例えば、一緒にツアーするバンドとして、自分達がホントに好きでリスペクトしてる少年ナイフみたいなバンドを選べる自由があるっていうのはいいことさ。数年前にはこんなことできやしなかったよ。
──実際、今回少年ナイフを起用したのも......
K:彼女たちが僕らのフェイバリット・バンドのひとつだから。大好きなんだ。
──欧米の雑誌のインタビューなどでも結構そういう風に言ってますよね。本当に好きなんですね。
K:ああ(笑)、ホントに素晴らしい音楽だと思うからね。
──グレイトなバンドは世の中に沢山ありますが、そんな中にさえマネージャーなどの存在なしには何の判断もできないバンドは多いですよね。でもあなた方は違うわけですね。
K:あ、ああ......(苦笑)。
──周囲の状況が急激に変わりつつあることに、恐怖を感じたりすることはありませんか?自分だけではコントロールできないことも増えてくるでしょうし。
K:まあね。その手の脅威っていうのは常にある。だけど僕ら、自分達がやりたくもないようなこと関わるよう強制でもされようものなら、とても厳しくなれるんだ。僕らは僕ら自身のためにやってるわけだから。アルバムが沢山売れて、大勢の人達がこのバンドに関わるようになったからといって、ニルヴァーナの音楽を変えなきゃならない理由はどこにない。もしもそんな状況に追い込まれて、やりたくもないことをやらなきゃならなくなったりしようものなら、僕らとしても何らかの行為に出ざるを得ない。「解散するぞ!」と脅しをかけてみるとか(笑)、名前を変えてみるとか。だけど、そんな理由のために解散するくらいなら音楽なんてやってないよ。ま、たとえそうなろうが僕らは何度でもまた一緒になってバンドをやり直して、音楽をやるだろうけどさ。
──あなた方の音楽をハードロックとパンクの中間に位置するものと解釈している人々も多いと思うんですが、あなた自身はそうした音楽からの影響についてどう思っていますか?同時にそれら双方の要素を吸収してきたというような意識はありますか?
K:そう見られてるとすればグレイトだと思う。僕らは正直なんだ。自分達が影響を受けてきたもの、好きなものに対してね。ニルヴァーナの音楽の多面性は、僕らがいかに音楽を愛しているかの証しにもなっているんじゃないかと思う。僕らは決してある特定のカテゴリーにとどまって音楽を追求しようとしてきたわけじゃない。あらゆるものが好きなんだ。少年ナイフもパッツィ・クラインもメルヴィンズもブラック・サバスも、みんな同じように愛してるのさ。そして勿論パンクロックもね。要するに僕らって基本的にバー・バンドなのさ。つまり、必要に応じて誰のどんな曲もカヴァーできるようなね。
──今この瞬間、カヴァーしてみたいと思うバンドって誰ですか?
K:ウ〜ン...。ヴァセリンズの曲を2曲やってるし、ポートランド出身のワイパーズってバンドのカヴァーもやってるけど...まあその辺かな。他にヴェルヴェット・アンダーグラウンド、キッスの曲もカヴァーしてきたけどね。
──あなた方が誰かの曲をカヴァーするというより、これから先はきっと、あなた方の曲をカヴァーしたり、真似しようとしたりというバンドが増えてくるんでしょうね。
K:なんかくすぐったいよね、そういうのって。実際、僕らの曲をカヴァーしたいって言ってくれる人達とか、友達と一緒になって僕らの曲をやってたとかっていうガレージ・バンドなんかにも会ったことがあるけど、凄くくすぐったかった。僕自身の中では"カヴァーする"っていうのは、ある程度確立されたバンドが変わった曲を取り上げることを指してたからね。だってさ、僕らがディープ・パープルやレッド・ツェッペリンの曲をカヴァーして披露したところで、お客にとっては退屈でしかないだろ?僕らが僕らのスタイルでレッド・ツェッペリンの曲をやってみたところで、みんなの耳に馴染んでる元々のヴァージョンほどエキサイティングには聴こえないはずさ。僕らにとっては、他人の曲をカヴァーするっていうのはもっと個人的な意味合いを持った行為なんだ。
──最近はファンだけじゃなくミュージシャンの中にもニルヴァーナが好きだという人が多くて、実際、インタビューなどで「最近のお気に入りは?」と訊くとあなた方の名前をあげるミュージシャンが多いんです。先月デトロイトでメタリカの取材をしたんですけど、彼らも同様で、コンサート会場の楽屋であなた方の曲を弾いていたくらいなんですよ。こういった状況についてどう思いますか?
K:ハハハ。それって凄いことだね。僕はずっとメタリカのファンだったし。
──ホントに?
K:ああ、ずっと好きだったよ。
──メンバーの中では特にギタリストのカーク・ハメットが入れ込んでるようでしたが。
K:カークには実際、会ったんだよ。彼、僕らのL.A.でのショウを観に来てくれたんだ。バックステージに会いに来てくれてね...いい人だったよ。だから...なんかこういうのって、照れ臭くて「嬉しい」としか言えないんだけどさ(笑)。
──ファンであれミュージシャンであれ、とにかく今、あなた方の音楽は若い人々からの支持を急激に集めつつあるわけですが、こうした好反応が得られるようになったことの要因は何だったと考えていますか?
K:何だろう...。僕らは自分達の音楽をクリエイトするうえて、その対象年齢を設定したことはいけど、実際ティーンエイジャーに受け入れられてるってことは、ティーンエイジャー向けの音楽てもあるってことなんだろうな。よくわかんないんだけどさ、少なくともイメージ云々の部分ではないと思うんだ。ニルヴァーナってバンドのイメージが彼らの中で既に固定されているとは思えないからね。いつだって事実は誇張されて伝えられる。ある記事によれば、僕らはヴァイオレントでクレイジーでいつも酒飲んだくれて酔っ払ってて、楽屋をメチャメチャにしてる薄汚い連中らしいけど、他の記事では「弱々しくて寡黙」ってことになってたり「精神衰弱的」とか言われてたりする。結局、僕ら自身もインタビュー受けてる時のムードに左右されるわけでさ...。でも結局、僕らの音楽に対する真摯な態度が報われたんだと思うね。そう思いたい。そういう態度を貫くことが無意味だなんて考えるのは愚かだと思う。
──キッズがいわゆるアリーナ型のロックやMTV主導型のロックに飽き始め、ニルヴァーナの音楽を新鮮なものと感じた、と解釈する向きもあるようですが。
K:...それは...そうかもね。確かに僕らはまるで違ってるからね、ポイズンみたいなバンドとかと比較したら(笑)。だけど、彼らの音楽と同じぐらいのキャッチーさも持ってる。だから人々に受け入れられたんだろうな。人々は常に過去10年くらいのものに影響された音楽を聞くもんだけど、そういう意味ではポイズンみたいなオールド・スクールのバンドはドンドン淘汰されていって、僕らの友達なんかがもっと世に出てこられる機会を得られればいいなと思うよ。
──今、自分たちと同じようなアティチュードで音楽に取り組んでいると思えるバンドはいますか?
K:いるいる。何百といるよ。
──具体的には、例えば誰ですか?
K:マッドハニー、メルヴィンズ、少年ナイフ、ラモーンズ...。僕の好きなバンドはみんなそうさ。ピクシーズにR.E.M.に...。彼らはみんな音楽に真摯な態度で取り組んでいると思う。
──ここのところ、人々はシアトルという街に注目し始めていますよね。
K:ああ、そうだね。ここのところ...ね(笑)。
──新しい音楽のキャピタル...とでもいった言い方をされることが多いわけですが、こういった解釈についてはどう感じますか?
K:いつもそういう話を聞いて思うことなんだけど、アメリカの、あるいはヨーロッパのどんな街にだってそれなりの音楽シーンはあるわけだし、街が凄いんじゃなくてそこにいるパンドが凄いんだってことなんだよね。どこにだって様々なバンドがいる。クールなのも変なのも、まるで違ったタイプのもね。僕はL.A.の音楽シーンも素晴らしかったと思うけど、それは純粋に良いバンドがいたからであって、彼らがL.A.出身だったからじゃないと思う。その街の環境がどうのってわけじゃないのさ。
──でも勿論、シアトルのバンドなりの共通性みたいなものは感じることがあるでしょう?
K:それはあるよ。なにしろそんなに大きなシーンじゃないから、みんな知り合いだし、友達同士みたいなバンドも多いし、誰もが同じようなクラブに行き、同じようなところをウロついてるわけだからね。で、同じようなものを観たり聴いたり、同じ器材を使い回ししたり(笑)...みたいなこともあるから、似通ってるところもあるにはあると思う。だけど断じて言うけど、僕らのサウンドはタッドのそれにはこれっぽっちも似てないと思うし、マッドハニーとも違うと思う。同時にタッドとサウンドガーデンだってまるで違うしね。みんな、それぞれにちゃんとオリジナルなものを持っていると思うんだ。
──以前はシアトルってヘヴィ・メタルが盛んな街なのかと思っていたんですよ。メタル・チャーチとかクイーンズライチとかの出身地でもあるんで。
K:ふうん。まあシアトルというのは、音楽的には常にギターを中心としてきた街ではあるな。いつもヘヴィ・メタルやロックン・ロールのギター・オリエンテッドなバンドは沢山いた。何故だかはわからないけど、いつも軽めのバンドよりはヘヴィなバンドばかり出てきてた。シアトルには今だってちゃんとしたヘヴィ・メタル・シーンが存在するよ。クイーンズライチとかは相変わらず人気があるし。
──ギター・オリエンテッドですか...。あなた自身がギタリストとして影響された人というと誰ですか?
K:ブラック・フラッグのグレッグ・ジン、それから......多分ジミー・ペイジかな。僕が14歳だった頃の彼は、凄くオリジナルなギタリストだったよ。
──あなたにとっての最初のギター・ヒーローといったところですか?
K:ああ、それは言えてると思う。
──あなた方の音楽は最近のヘヴィ・メタルが失いつつある何かを持っていると思うのですが(カート、頷きながら咳き込む)、ここのところのヘヴィ・メタルについてはどんな風に感じていますか?
K:ウ〜ン、ここ10年くらいの間の僕はヘヴィ・メタル・ファンだったとはいえないな。メタリカとかヴェノムといったごく一部のバンドを除いたら、夢中になることはなかったし。それ以外にも、とっさに名前を思い出せないだけで、好きなヘヴィ・メタル・バンドというのはあるにはあると思うけど、今のヘヴィ・メタル・シーンの殆どの部分は自分には無関係なものだと思える。本当にへヴィなバンドなら大歓迎だけど、僕はポイズンみたいなパンドに魅力を感じたことはないからね。
──ヘヴィ、といえば、あなた方も含めてシアトルのシーンから出てきたバンドのサウンドの共通点はそこにあるという気もするんです。例えばシアトルという街の環境とかムードといったものがそういったサウンドの質感に影響をもたらしているとは思いますか?
K:そうは思わないな。シアトルではしょっちゅう雨が降ってるし、あの街には確かに人間を鬱屈させる要素というのがあると思うけど(笑)、それはこのイギリスも同じことだよね?だから環境が音楽に大きな影響を与えるとは思わない。それって例えば科学者がバンドに向かって「大きな冷蔵庫のそばでプレイしているとカチンカチンの音になるから、アーティスティックなエネルギーを得たかったら天気のいいバハマにでも行って演奏すべきだ」とか言うようなもんじゃない?(笑)
──あなた方の音楽を形容するのに"陰鬱"という言葉を使う人もいます。例えばそれはシティ・ライフの陰鬱さが反映されたものではないか、という解釈も可能なわけですが、どうでしょう?
K:...というか、よくわからないけど、要するに、自分の感情をフェイクしてる連中が多いから...。嬉しくも楽しくもないのに、それがポジティヴな態度なんだと勘違いして年がら年じゅうニタニタしてる奴っているだろ?かと思えば現実主義者を気取っていつも深刻ぶった顔をして、間違った理由のために笑ってしまわないように、常に他人には笑顔を見せないように努めてるような人間もいる(笑)。僕らだって、他のバンド達と同じように音楽によって楽しみを導き出したいと思っているけど、笑ってばかりいる連中よりは少しばかり陰鬱な世界の現実にも目を向けているってだけのことだと思う。僕らはメロディってものが好きだし、美しさだって求めてる。"美"って、ネガティヴな世界にも存在するものなんだ。ネガティヴというと語弊があるかもしれないけど...例えばアグレッシヴな美っていうのも存在するわけだよ。
──あなた方の音楽を、例えば"ストリート・ロック"という風に呼ぶ人達もいますよね?
K:ああ、そういうのもあるね(笑)。
──同時にガンズ・アンド・ローゼズなどもストリートから出てきたロック・バンドと見られているわけですが、あなた方と彼らの音楽との最大の違いといったら何でしょうか?
K:......良い曲。
──勿論それは、あなた方のほうが良い曲を沢山持っているという意味ですよね?
K:...だといいんだけどね(笑)。
──あなた方の音楽はヘヴィな面を持っている反面、とてもキャッチーなメロディをも持ち合わせているわけですが、メロディというのもヘヴィなギター・リフと同様に、ニルヴァーナにとっては失いたくない要素といえますか?
K:そうだね。というか、失うなんてありえないことだと思う。僕らはポップ・ミュージックも凄く好きで、それを否定するのは不可能だし、否定したこともない。ただし、どうしてもメロディックでなければならないとは考えていないんだ。「ネヴァーマインド」の最後の最後に、10分間の空白を挟んでシークレット・トラックみたいなカタチて入ってる曲を聴いたかい?あのノイズっぽいやつ。あの曲は殆どメロディがないけど、実はあれは意図的にやったことで、ニルヴァーナの音楽にはいつでも必ずしもメロディがなきゃならないわけじゃないってことを、証明しようとしたものなんだ。
──それがあの曲をやった最大の理由なのですか?
K:...というか、勿論プレイしてて楽しい曲だからこそやったんだよ。そういった意図だけのために書かれた曲だとは思って欲しくない。あの曲にだって、比較的静かなパートにはメロディのカケラみたいなものはあちこちに探し出すことができるし(笑)。きっと僕には、自分の音楽からメロディを全く排除するなんてことはできないのかれない。メロディってものがあまりにも好きだから。たとえ何年経とうとも、ピートルズ嫌いになってる自分なんて想像できないもんな。
──あまりにも漠然とし過ぎていて答えにくい質問かもしれませんが、あなたにとって"良い曲"というのはどういうもののことですか?
K:自分をハッピーにしてくれる曲だな。それは必ずしもメロディを持ってる必要はない。仮にメロディが欠けていても、それを補うに充分なだけのエネルギーとフィーリングがあればいいんだ。邪悪で陰気な曲が、ポップな曲と同じくらい僕をハッピーにしてくれることだってある。何故そうなるのかは説明し難いから訊かないで欲しいんだけど(笑)。
──ハイ(笑)。では、あなたに音楽を作らせているものは一体何なのでしょう?音楽に取り組むうえでの動機というか...。
K:僕はいつも、何よりも音楽を愛してきたし、バンドってものが自分を喜ばせてくれてると感じてる。それに気付いた時からずっと僕は、自分自身を喜ばせようとし続けてるわけさ。音楽というのは自分にとって、やらなければならないことなんだよ。こんなにも音楽を愛しているからこそね。例えば、絵がモノ凄く好きで芸術作品の収集に夢中になってる人がいたとしたら、僕は、その人は集めるばかりじゃなく自分でも描いてみるべきだと思うんだ。
 だから僕は、もっと沢山の子供たちがギターを手にしてバンドを組んで、音楽を始めるようになったらいいな...と思ってるよ。勿論、間違った理由のためじゃなくてね。有名になるためでも、アルバムを出すためでもなく、デモ・テープを作るためですらなく...。結局そういうのってどうでもいいことだと思うんだ。友達とあれこれ試してみて楽しむ、それだけでいいんだよ。それが趣味であるかキャリアとして成立するかの違いは大きな意味を持たない。多くのバンドが、プロフェッショナルであろうとすることに重きを置き過ぎていると思うんだ。また名前を出してしまうけど、ポイズンみたいなバンドとかね(笑)。よっぽど実像を隠したいんだろうな。
 音楽のテクニカルな面ばかりを誇張するバンドって、どうかと思う。実際以上にカッコ良く見せようとする連中とか、どれだけ自分の技術が凄いかを見せびらかすようなギタリストとか...ああいうのって僕にとっては凄くカンにさわるんだ。バンドをやってみたいと思っているような15歳のキッズに対して、彼らと同じくらいプレイできなきゃならないというような思いを抱かせるのは、一種の脅しだよ。C.C.デヴィルみたいなギター・ソロなんか弾けなくても本当は構わないんだ。どんなに下手クソだろうと構いやしない。自分自身が楽しんでいれば、それでいいはずなんだよ。
──実際、あなた自身は何故ギターを手にしたのでしょうか?
K:それまでとは違ったことがなにかやってみたかったんだ。絵を描いたり、色を塗ったりというようなことがずっと好きだったんだけど、さっきも言ったように音楽を聴くこと自体が大好きだったから、次に自分がやることとして楽器を選ぶのはとても自然だったんだ。人生における楽しみの選択のひとつだったのさ。自転車を買って、それを乗り回して楽しむといったことと同じだったわけだ。
──要するにギターは、当時のあなたにとっての新しいオモチャみたいなものだったわけですね?
K:そうそう、最初のうちは単なる趣味にすぎなかったしね。
──ところで、来年2月には初めての日本公演が決定しましたが...。
K:イェー!
──ずいぶん楽しみにしてるみたいですね。
K:もう、待ちきれない思いだよ。日本に行けるなんて、僕がこれまでに成し遂げてきたことの中ても、最高のことのひとつだろうな。僕、ずっと日本には行きたかったんだ。けど、自分を取り囲む現実を考えれば、それは手の届かないことのように思えた。なのにこうしてチャンスを得られたわけだからね。とても嬉しいよ。
──様々な国をツアーしてまわることで沢山のことを学んだ、といったことを言うミュージシャンは多いですが、あなたの場合はどうですか?曲作りとか日常生活への新鮮な影響とか...。
K:どうだろう...それが曲作りに影響を与えることはまずないな。僕ら、実際2年前にもイギリスには来たけど、それがニルヴァーナの音楽に大きな影響を与えたとは思わないし、そういったこととは関係なく僕らはいつもこういう音楽を作っていると思うよ。たとえシベリアとかにいようとね(笑)。でも、異なった文化を見ることができるのが、自分にとってエキサイティングなことだっていうのは事実だ。で、僕個人としての結論としては「いかなる文化も結局のところ元は同じ」っていうことになるんだけどね。同じ物事であっても、異なった文化に基基づいた見方とか考え方によって違って解釈されることは確かにあると思う。だけど所詮、人間は人間なんだよ。どこへ行こうとね。だから物事の本質も基本的には変わらないはずと思うんだ。
──日本に来ること以外に、何かこれからミュージシャンとしてやりたいと思っていることはますか?
K:ミュージシャンとしては...今の時点では特に考えられないなあ。友達や、知り合いのバンドの連中とコラボレイトして、曲を書いて、そしておそらくレコードを出して......といったこと以外にはないよ。
──例えばどんな人たちと一緒にやりたいと思っているんですか?
K:今回サポートを務めてくれてるキャプテン・アメリカのユージンとは一緒に曲を書いてみたい。きっと面白いものになるよ。スクリーミング・トゥリーズのマーク・ラネガンとは以前から一緒に書いてるんで、いつか彼と一緒にアルバムを出せたらいいなと思ってる。ま、仮にその曲がいいカンジに仕上がれば、のハナシだけど。それから、前のガールフレンドと一緒にバスタブ・イズ・リアルっていうバンドもやってるんだけど、彼女とも早いとこ一緒にアルバムを出せたらいいなと思ってる。曲は沢山あるからね。ただ、曲はあってもレコーディングはこれからやらなきゃならないわけで...ここんとこ僕のスケジュールが一杯で、なかなか一緒にやれなくなってきててね...。
──でも、あなた自身はそうしたミュージシャンとしての自由を失いたくないわけですよね?
K:絶対にね。それを失っちゃマズイよ。僕はニルヴァーナだけに自分の楽しみを見出してるわけじゃないんだからさ。かといって、ニルヴァーナを離れなければならなくなるような状況にまで自分を追い込んで、そういったソロ・プロジェクトを推し進めていきたいという強い願望もないんだ。そんなことをする理由はどこにもないさ。でもまあ、自分で何かやりたいと本気で思ったなら、時間なんてものはどうにか見つかるもんだと思うけどね。
──最後に、来日公演を待っている日本のファンにメッセージをもらえますか?
K:.........ギターを買いな!(笑)
──他の楽器じゃマズいんですか?
K:いや、何でもいい。ドラムやベースでもいいし、キーボードでいい。タンバリンだっていいさ(笑)。

この瞬間、ちょうど彼らのマネージメントである「ゴールド・マウンテン」からカート宛てに電話が入ったとの伝達があり、インタビューもそこで自動的に終了。僕達の会話は笑顔で平穏に終わった。
 その夜、ステージ上にいたカート・コバーンは数時間前の情緒不安定な人物とは違っていた。翌日、バーミンガムのクラブで観た時も、その表情はむしろ自身に満ちたものに見えた。しかし2日後、テレビの画面を通じて再会したカートは普通ではなかった。
 彼らはかの「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出演し"スメルズ・ライク・ティーン・スピリット"を演奏していた。カートが完全に番組をナメきっていたのか、それとも彼なりに危険信号を発していたのかは判断できかねる。しかし彼は、とにかくレコードとは全く違ったキーと声色でこの曲を歌っていた。曲のエンディング部分で3人が楽器を床に投げつけ、ドラム・セットを崩壊させたのも、演出なのか本気なのかわからなかった。番組、あるいは音楽業界全体を小馬鹿にしたかのような態度とも思えたが、不特定多数の一般視聴者に向かって「お願いだから僕らを嫌ってください。僕らはクラブに観に来てくれるお客さんだけで充分なんです」と訴えかけているようにも見えた。僕は、怖かった。
 その後もバンドは英国ツアーを続けた。数日後、ロンドンを訪れた際には当然のごとく取材陣が殺到。しかしこの時からカートのみインタビューには応じなくなっていたという。そうした状況になる以前にブラッドフォードで取材に成功していた僕は、"時の人"から話を聞くという意味においてはインタビューアとして非常に幸運だったのだ。
しかし、あの時の目を潤ませたカートの表情を思い出すと、僕の心は重くなっていく一方だった。
 この日のことはきっと忘れない。1994年4月8日、27歳の彼が無残な姿で発見されたその日のことよりも、僕には、初めて会ったカートのあの表情のほうがずっと重いのだ。1991年11月26日。蛇足ながら、それはフレディ・マーキュリーが亡くなった翌日のことだった。

© You Masuda, 1996